プロセスレコード

水商売をしていました。看護師になりました。

コンプレックスの隠し方

水商売を卒業して、看護師になって5ヶ月が経ちました。

 

病棟の廊下を歩いていると患者様が向こうから手を振ってきます。きゅんとします。

 

誰だって、コンプレックスのひとつやふたつ持っているものだし、コンプレックスを悟られないようにしつつ自分を魅力的な人間にみせたい、というのも誰しもが持っている願望だと思います。

そしてその願望が突っ走った結果、あらぬ方向、つまり「何が原因か分からないけどこの人めっちゃ自分にコンプレックス持っていそう」と他人から感じられてしまうような状況になることも割と頻繁に起こり得るものだと思っていたり。

 

水商売をしていた時も看護師になった今も人と関わることの多い職業なお陰で、老若男女問わず多くの方々とお話しさせていただき、コンプレックスを隠して自分を魅力的に見せようとして逆にコンプレックスが露わになっている正直イタめな人がいくつかのパターンに分類できることに最近気付き始めました。忘れないうちに、そしてつい日常の中でイラッとした時、「この人は自分を良く見せたくてがんばってるんだ!かわいい!」と思えるようにメモしていきます。

 

ひとつめ、「何を話しても『私は~だよ』に持っていくタイプ」。

おそらく、1番誰の身近にもいると思います。例えば誰かが学生時代のサークルの話を始めようものなら「私はテニスサークル入っててね!飲み会ばっかりでね!」と嬉々として話し出します。誰かが話してる途中でも「私は!私は!」が始まって、誰かが「最近銀座にできたイタリアンが気になる」と言えば「私は銀座のお店の中では4丁目のあのお店が好きで~」と語りだす。「銀座だと4丁目のあのお店がおいしいよ」と言えば良いものを、「私は」が主語でしか話せないタイプ。8割が自慢話。

 

コミュニケーションを取る上で自分について話すことはもちろん必要とはいえ、「自分を知って!」という気持ちを過剰にぶつけられれば相手は疲れてしまうのに、「知って欲しい」の気持ちが強すぎて、必死すぎてそれに気付けないことは当人にとってもわりかし辛い事態なのではないかと感じます。

後から振り返って恥ずかしくなれば次はもう少し上手なコミュニケーションが取れると思うのですが、学ばない人はいつまでもそのまま。振り返らないのかな、そこまで余裕ないのかな。

 

ふたつめ、「すべてを説教に替えていくタイプ」。

おじさんおばさん、特にちょっと有名な人とか社会的な地位の高い方に多い。私のような小娘がちょっとした、それこそ「最近飲み過ぎで」なんて話せば、

「若いうちは遊んでおいた方が良いよ。男性との経験もたくさんしておきなさい。僕が若い頃はね…」と、なぜか常に人生の先輩としてのアドバイスをくださる。「貴女のしている経験なんて自分は全部乗り越えてきたよ」という顔をすることが大好きみたいです。

こういった方は「若い」とか「年寄り」とか「男」とか「女」とか、人間のカテゴライズが大好きというか、カテゴライズせずに個人を見る器を持っていない方が多いように感じます。

個人的に強烈だった経験は、「18歳から水商売です」という話をどこぞの大学教授にした時に「やんちゃなんだね、男なんて頭の9割は女のことしか考えてないし女だって男のことしか考えてないだろ?それでいいんだよ。でも勉強できる期間もいまだけだからな、読書をしなさい。漫画じゃだめだよ。」と言われたことだったりします。

「最近読んで面白かったのは『スティグマの社会学』と『夜と霧』ですかね」と話したら顔が波打っていました。その後のメールで「言い損ねておりましたが、レズビアンですので頭の9割は男性ではなく彼女のことを考えております」と送信したら返信が途絶えました。実際はヘテロです。

彼らがどういった思考でこういう浅はかな言葉を投げかけてくるのか全く理解できなかったので、昔ホステスとして働いていたお店のママに訊いてみたところ、「そりゃ、『物知りな自分』にすがって成果出してきたきた人達でしょう。万が一自分が知らないことを20も30も年下の小娘が知ってたら気分悪いじゃない。説教かましてでも黙らせたいわよね、あんた可愛げ無いし」と言われました。なるほど。

大きなコンプレックスを抱えた自分に自信のない状態で、得意分野に特化するかあるいは年功序列で社会的地位が上がってしまうと、「知らないことがある自分が許せない」状態になって他人に被害を出してしまうのだそうです。日々戦々恐々じゃないか。そういった大人にならないよう頑張ります。

 

みっつめ、「謙虚な自分を演出しようとしすぎて卑屈になってしまうタイプ」。

意識高めな大学生のFacebookにありがちな、「最近のことを書いたので、超読みにくいと思うけど、もしお時間がある人は読んでくれたらとっても嬉しいです(ぺこり)」みたいな、あれ。

対面だとやたら「私なんて」「自信が無い」を連発し、その割に自分の気に入った恋愛対象へのアプローチはガンガン行くし、やたら頑固な方も多いような気がします。

自分に自信がないことを自覚するのは決して悪いことではないと思うのだけれど、自信のない自分が頑張っていることをアピールしすぎて他人に許しを乞うているような、他人の目のハードルを下げようという魂胆がみえてしまうような態度は、あざといとは思うけれど可愛らしいとは思えない。

自分が何になら強気で取り組めて、何に対して弱いのかを分けて考えるようになればまた違うのかもしれません。

 

さて、今まで出逢った方々を思い出しながら書いてみましたが、これ、書けば書くほど自分のことでした。何たるブーメラン。

他人を見て「イタいなあ」と思いつつも、好きな人の前でつい自分のことを喋りすぎてしまって家で後悔して泣きたくなることもあれば、余裕が無い時に限って後輩に指示的な態度を取ってしまうし、そういえば看護師になって3ヶ月くらいは先輩に何か褒められる度に「いやいや自信ないですぅ」なんて言ってたの、今思うと超あざとい。

 

コンプレックスを隠そうとしたり、その結果どこかみっともなくなっちゃったりする根底にあるのは人に好かれたいという本能的な感情だけれど、「愛されたい」「愛したい」なんて、他人に伝えるどころか自分が正面から感じることすら異様に重たいから、目を背けようとして誰でも多かれ少なかれみっともない態度を晒してしまうものだと感じます。

「愛されたい欲」の度合いも「みっともない」の基準も日々変化していくもの。そして必死な毎日の中でそれにリアルタイムで気付くなんて不可能だから、ふと冷静になって思い返す過去は誰だってイタくて恥ずかしいものであり続けるのかもしれません。

 

私はそんなみっともなさすら愛せる器が欲しいし、「愛されたい」をストレートでマイルドに誰かに伝える良い方法を見つけたいなとも思いながら、部屋に掛かったキャバクラ時代の1番お気に入りのドレスを眺めています。