プロセスレコード

水商売をしていました。看護師になりました。

「なんか違法そうなものをとりあえず否定してみる」思考のみっともなさ

 

水商売を卒業して、看護師になってもうすぐ半年になります。

 

高校の同級生が結婚して「そろそろそういう歳に差し掛かってきたか…」と良く分からない焦りを覚え始めています。友人からは「楓は焦るとろくなことしないから。人生炎上させかねないから。落ち着いて。ほんと落ち着いて」となだめられています。

 

周りに性風俗で働いている友人が非常に多く、学生の時から彼女たちの仕事に関する話を聞く機会には事欠かないのですが、医療職種ということで風俗嬢の面々から集まってくる情報といえば、嬢達がよく行く病院について、だったりする不思議。

 

どこの診療所は性感染症の検査結果を電話で教えてくれるだとか、どこのクリニックは余計なことを聞かずに中絶手術をしてくれるだとか、どこの精神科の医者は風俗に理解があるだとか、そういった、性風俗の仕事と関係する健康問題を解決できるような病院は嬢の口コミで自然と広まっていきますし、場合によってはお店の男性スタッフが受診に付き添う場合もあるようです。

 

そして、興味本位で話題の診療所のホームページを見てみたり、その診療所の医師について調べてみたりするとちょこちょこ見つかってしまう、なんか怪しくないか?あ、これ多分無免許だわ、みたいな医師と、どんなに好意的に見ても法律的にアウトかな?うん、アウトだな。みたいな診療所。

 

私自身はその辺の事情に深く突っ込む気は無いので普段人に話すことすらしないのですが、先日外資系コンサルの知り合いと飲んだ時に酔った勢いで「風俗嬢に人気のクリニックが無許可かもしれないんですよう。衛生面とか性感染症の検査精度とか心配」とついうっかり口を滑らせたら「なんですぐ警察か保健所に届け出ないの?そういうの放っておくのは当事者のために良くないでしょ?」と見事なまでのお説教をくらいました。

 

市民の義務だの、弱者につけ込んでいる悪徳業者を放置するのかだの綺麗な正論を、銀座の懐石料理屋で日本酒を口にしながら話す彼は一見してインテリ系正義の味方に見えなくもないのですが、個人的に言わせてもらえばそんな届け出を行うなんて無意味だし、超くだらないなって思ってしまって。

 

というのは、結局そういった、アウトの可能性のある診療所が重宝されている背景にあるのって、「ちゃんとした」医療施設で彼女達への対応ができていないからじゃないですか。

いつも同じ病院で性感染症の検査をしていたら医者に風俗がバレて辞めろとしつこいのでもうあの病院には行かない、精神科で風俗勤めの話をしたら「そんな仕事しているから鬱病が治らないんだ」と言われた、そもそも保険証を持っていない、そんな話を日常の中で嫌と言う程風俗嬢達から聞いていれば、保健所に届け出ることでその診療所が無くなってしまった場合に彼女たちが「ちゃんとした」病院に行くようになるわけでも無く、状況は改善されないどころかむしろ悪化するなんて火を見るよりも明らかなわけです。

 

「性感染症の検査をしたい」「風俗で働いていることを咎められずに医者にかかりたい」そういった彼女たちのニーズを完全に無視して「他人を騙している悪い奴は懲らしめるべきだ」という、てんで見当はずれなベクトルに会話を持っていく人って、ダサい。代替案のない批判ほどみっともないものってないわ。

 

おキレイな立場から、表面的に「なんか悪そう」と思いやすい何かを批判してみたり糾弾してみたりすれば、正論ぶれるし周りはちやほやしてくれるし、 気持ち良いことこの上ないだろうなと思います。その快感のしわ寄せは当人からは見えないところに流れていくわけですし。

 

そもそも性風俗産業そのものだって、「けばけばしい繁華街なんて不健全だ!」という、情緒の欠片もない行政のお偉いさんが風俗のお店の営業時間だったり建設だったりに手あたり次第に規制をかけた結果、現在性風俗店の7割が無店舗型風俗になって、ホテルやお客様の自宅に嬢が「派遣」され、何をするか分からない異性と2人きりにならなければいけない、そこで働く嬢にとって非常にリスキーな状況になっているのが現状なわけで。(風俗で働く女なんてだらしない奴なんだからリスクを負って当然と考える方はそもそもお話にならないので、本を読んで勉強するところからはじめましょう。中村敦彦著「職業としての風俗嬢」おすすめです。)

 

「悪い」と一方的に決めつけやすいものを糾弾してみたり規制してみたりして、最終的に迷惑を被るのはその業界に居ざるを得ない、大きな声を出せない、みんな大好きな「弱者」じゃないの。別に風俗嬢が弱者だなんて思わないけれど、仕事の内容的な健康リスクは見過ごせないものがあるし、仕事を他人に話せないことで起きる諸々の不都合も不快な思いも、私自身が水商売をしていた時に嫌というほど経験したし。そう思うと何となくやるせない気持ちになります。

 

善悪、なんて、表面だけを見て語れるほど単純なものではないと思うのです。目の前にある事実を、良い・悪いはひとまず置いておいて単なる事実として眺めることができるスキルを土台にして、やっと善悪を語れる思考力が生まれるんじゃないのかなって。

 

自分の倫理観にそぐわないものをとりあえず叩いてみることに頭はいらない。なんとなく正しいことを言っている気になれば他人の内面や他人の置かれた状況への想像力はどんどん枯渇していく。きっと世の中にそんな「正しい人」なんて腐るほどいるだろうからこそ、私自身は他の人以上に豊かな想像力が欲しいし、自分の想像を周りにイヤミにならずに伝染させていく人でもありたいものだと感じます。

 

そしてそんなことばっかり考えているからこそ、日本酒を飲んだ帰り道で手を繋ごうとするコンサルの彼に笑顔で「そういうの求めてないから」と言いながら終電で帰宅し、自ら恋愛も結婚も一段遠ざけてゆくのだと、嫌と言うほど実感するのです。