プロセスレコード

水商売をしていました。看護師になりました。

他人に期待なんてしない

 
看護師2年目になりました。同じ大学出身の同期のツイウッカリのお陰で職場中に水商売の経験がバレていますが実害なく暮らしています。
 
「あなたが他人に怒らないのって誰にも期待してないからでしょ?」3年前くらいに働いていたキャバクラで、お客様に同伴をドタキャンされた時に先輩に言われた言葉をふと思い出したのは、先週、看護師1年目のミホと新宿ゴールデン街でぐだぐだ飲んでいた時。
 
女2人で飲めば愚痴や噂や昔の思い出話が止まらないのはいつの世もですが、ミホの「彼氏なんだから迎えに来て当然でしょ!」「先輩だからそこは教えてくれるべきじゃないの?」「この前〇〇が約束に2時間も遅刻してきて!」という、自分の思う通りにならない他人の行動への不満に、「他人に期待しすぎじゃない?」と言ったところ、3秒くらい考えた後「うん、他人にも自分にもいつも期待はしてる、というか依里は期待しなさすぎじゃない?」と返されて、あれ、前にも似たようなこと言われたなって。
 
私自身は、他人に期待なんてしない方が、穏やかに生きられると思うのです。
 
だって他人に期待するって、他人への「当たり前」のハードルを上げることでしょう。「彼氏なんだから迎えに来るはず」も、「男なんだから奢ってくれるはず」も、それが当たり前だと思ったら相手の労力への正当な感謝なんてできないじゃない。それともその分「彼女だからご飯作る」とか「女だから可愛らしく振る舞う」のかしら。他人にステレオタイプなあるべき姿を求めて自分もあるべき姿を演じるだなんて息苦しくて馬鹿げていると思ってしまう。
期待なんてしなければ、恋人が迎えに来てくれた時の喜びも、ご飯を奢られた時の有難みも常にサプライズだから嬉しさのハードルがぐっと下がるし、小さな幸福を積み重ねられる人生になるんじゃないの、という持論はおかしいのかな。
 
それに、期待をすれば必ずどこかで裏切られるのです。どんなにお互いが楽しみにしていた予定でも、仕事で、あるいは電車が止まって来られなくなってしまう時はあるし、そういう時にひとりで待ち合わせの駅に居る悲しさって「必ず来てくれるはず」という期待の裏返し。分かりにくくて理不尽な指導をしてくる上司への不満も、「上司ならこうする筈」という期待感故ではないでしょうか。
最初から「来なくてもまあ仕方ない」「上司が苦手でもまあ何とかやるしかない」と思えていれば、そんな不要な悲しみを味わうことなく過ごせるのに、と感じます。
 
そういえば、ミホは私を「大人だ」と言ってくれたけれど、確か3年前のキャバクラの先輩には「寂しがりで臆病」と言われました。「そうやってドライぶってると誰からも大切にされないよ」とも。
 
誰にも期待しないのは傷付きたくないからで、短期的な傷付きで得られる長期的な喜びを捨て続けているのかもしれません。「付き合ってるんだからちょっとは頼ってよ」と言われること数十回で恋人に振られる経験もしたし。
 
ミホや先輩は他人への期待が大きくて、その大きさ故に恋人や特定の友人に依存的です。一方私は期待しない分誰にも依存しない、恋人がいなくても平気な「友達が多い」タイプ。
 
どちらが生きやすいのかは各々の育ってきた環境であり自分の選択でもあって、もちろん両立させる人もいるし羨ましいとは思うのですが、少なくとも大方の人間はそんなに器用じゃ無い。そして何も無くても日常は悲しみに溢れている。
 
それならせめて私達は自分の弱点を理解しながら、なあなあと生きていくしかないのだと、こんなことを考えてしまうのはやっぱり春だからかなと思いつつこれから友達の誕生日を全力で祝ってきます。