プロセスレコード

水商売をしていました。看護師になりました。

性的なモノの扱い方


水商売を卒業して、看護師になって1年が経ちました。
 
下ネタ、というか真面目・不真面目関係なく性的な話をするのが好きです。女同士でラブホテルにPC持ち込んで男性向けAV(ラブホのテレビ)と女性向けAV(SILK LABOとか)を見比べながらあーでもないこーでもないとワインを飲んでる時間とか、至福。
 
そういった話をするのに性別はあまり関係なく、男友達とも世間話の延長程度の気持ちで最近ときめいた誘われ方なんかを話すのですが、
唐突に「依里はエロい顔してるもんね」とか「君は胸がでかいから」とか言われることも少なからずあって、突然襲い来る気持ち悪さを無視できずにいます。年上のお兄さんとおじさんに多いかな。
 
「そういうこと言われるとさ、シェーディングとマツエク駆使してようやく作り上げた顔にケチつけやがってJC時代はタオル、JK時代はパッド、JD〜現在はシリコン(製のヌーブラ)詰め込んでんだよバカヤロウ、って怒鳴りたいの我慢しながらいかに早期帰宅を目指すかが目標になるよね」と、吉原のソープ嬢のリホと話していて、下ネタは好きなのになんでだろうね、まで言ったところで思い至ったのが、
 
性的な話をあからさまにしている女は「性的に見られたい」という勘違いをされがちで、どうでも良い人に性的な視線で見られることへの当たり前の不愉快さを相手に忘れ去られてしまうということでした。

性的な話をせずとも、風俗嬢であることをオープンにしているリホは「真面目に性の話をしたい」という名目の意識の高いセクハラに日々苛立っているし、私もキャバクラ勤務を公言していた時の、仕事の外で受ける「そういう女になら性的な欲望を当てつけて大丈夫」というあからさまな態度に辟易して、水商売のことを人に話さなくなった経緯があります。
 
最近インターネットで、震災時に生理用品を贅沢品だと言って被災地に支給するのを拒否したオジサマがいる、生理に対する無理解が甚だしいと話題になっていました。
それって性的なものを日常生活から切り離そうと頑張っちゃってきた教育の問題なのだから糾弾するのは違うなと感じたのですが、
じゃあ性的な話を日常でするとどうなるのかというと、私やリホのような不愉快な思いが付いて回るわけです。
 
需要と供給が一致しそうな性別の相手とそういった話をしている時に性的な気分が高まることはあるかもしれないしそれはどうしようも無いと思う。が、だからって態度や言葉に出すのは違うでしょう。猿じゃないんだから。

七生養護学校事件では学校側の性教育の正しさが認められたし、ピアエデュケーションが広がりをみせているとはいえ、人々の性に対する扱いはとても極端で、それは扱い慣れていないが故の幼さなのかもしれません。

でも、どんなシチュエーションや話題であってもコミュニケーションは互いへの敬意と思い遣りのはずで、そこに「性」という究極のプライベートが入り込んだからといって、コミュニケーションの基本すら忘れてしまうことはやはり惨めで悲しい。

かくいう私も、性的な話題の有無に関わらず、思い遣りを見失って人を傷付けてしまうことは少なからずあるので、自分の内面からも目を背けずに精進していかなければと思いながら、池袋の某大手チェーンのカフェでクーラーの寒さに震えています。