入職数ヶ月の新人の「仕事辞めたい」はこういう気持ち
水商売を卒業し、看護師になって3ヶ月が経ちました。
先輩看護師からの呼ばれ方が「依里さん」から「依里ちゃん」になって、
緊張で吐きそうになりながら上っていた朝のエレベーターが受け持ち患者様のことを考えながら上る朝のエレベーターになって
長期入院の患者様に顔を覗き込まれながら「一緒に頑張ろう」と言われていた4月から新規入院の患者様の目を見て「一緒に頑張りましょう」と言える7月になりました。
仕事が辛い原因を外に求めていた先月
(看護師になって2ヶ月半、水商売に戻りたいと思う理由 - プロセスレコード)
でしたが、ようやく3ヶ月間の自分の感情の動きが客観的に振り返れるようになったので、書き残しておこうかしらと。もしかしたら数年後、入職1ヶ月で辞めそうな新人さんの気持ちを理解するのに参考になるかもしれない。
3ヶ月間の中で、特に仕事が辛くて早くもアルコール依存症になりかけていたのが5月中旬だったのですが、その時に毎日考えていたのが、
「私ってなんて使えない人間なんだろう」
でした。
国家試験を通って看護師になったとはいえ、病棟のルールも分からなければ輸液ポンプの使い方もおぼつかない、記録も1人じゃまともに書けない新人ですから、当然最初は何をするにも先輩看護師と一緒に行動します。
先輩の後ろにくっついて1日の業務を見ている4月から、5月になると、おむつ交換も点滴を詰めることも輸液ポンプの操作も、突然自分が行うようになります。
ですが、看護師としての仕事をするのは当たり前なはずなのに、驚くくらい、できないのです。
先輩が点滴5本詰めている間に私は1本目すら詰め終わっていなくて、
Dr.に物を渡すだけの処置の介助でシリンジを落っことし、
巻いてスイッチを押すだけの自動血圧計は私が測ると低い値が出て、
点滴の滴下数の計算は患者様の前に立った瞬間にぐちゃぐちゃになって、
先輩が真っ直ぐにあてられるおむつは私があてると無様に曲がる。
誰にでもできるようなことが何一つできなくて、「最初だから仕方ない」と自分に言い聞かせてみても、
一昨日も失敗した
昨日もできなかった
今日も注意された
明日もきっと役に立てない
そんな意識は見えないうちに積み重なっていって、
「私は役に立たないんだ」「いやきっと看護師に向いてないんだ」「看護師になんてなるんじゃなかった」と、日に日に後悔は溜まっていき、
「ああ、辞めたいな」と、病院からの逃避がとても魅力的に映るようになっていました。
幸いにもチームの先輩に恵まれ、「最初からできなきゃいけないなんて思わなくていいよ」「3回言われてできるようになれば上出来」「これから絶対できるようになるから」と毎日懇々と言われ続けたことで、だんだんと「今すぐできる必要はないんだ」と思えるようになり、6月半ば、多少要領を覚えた時にふっと肩の力が抜ける瞬間ができましたが、それが無かったらもしかしたら潰れていたかもしれない。
学生の時に先生が、「責任感とやる気のある子ほど潰れていって、ミスしても気にしない図太さを持っている人だけが生き残っていく」と話していました。
今になって思うのは、責任感の強い人ややる気のある人って、良くも悪くも自分に対する期待が高いのではないかということです。
やる気があれば自分に対する期待が高まる。その分ギャップもショックも大きくなって、その大きさはストレスに直結していく。自分を諦めることも、開き直ることもできない人ほど「できない自分」を受け入れられない。
6月に辞めていった同期は、私よりずっと「看護師をしている自分」へのイメージが具体的でした。
私自身はおそらく責任感にもやる気に溢れてはいないのですが、幼少期から刷り込まれた「間違いをする私は人間のクズ」の意識と、水商売時代にそれなりに厳しい店で偶然にも成績を残せてしまった経験からの自意識の強さで彼ら彼女らと同じような状態になっているのでしょう。自覚していてもなかなか変えられないものです。
「仕事の楽しさ」なんて、楽しいからその仕事をするのではなく、できることをしているから、もしくはできることを踏み台にして次の課題に挑戦するから楽しいのだと思っていて。
そういった意味で、人には話さずとも私のような気持ちになった新入社員は看護業界に限らず、多くいるのではないかと感じます。
しんどさの原因を解きほぐすことでは別に楽にも何にもなりませんが、
少なくとも辛い原因が周りの環境以上に自分自身にある、自己肯定感がどん底の今の状態で仕事を辞めてしまったとしても、次に就いた仕事でまた「できない自分」を自覚してもっと辛くなる負のスパイラルに入っていくことは何となく自覚できたので
目標は低く、「定時までに出勤する」くらいにしてでもとりあえず4ヶ月目に突入できるよう頑張りすぎずに頑張っていこうと思います。いつか「あんな新人時代だったけど続けて良かったなあ」と感じることに少しだけ期待して。