プロセスレコード

水商売をしていました。看護師になりました。

「学生の頃は良かった」という社会人の言い訳

水商売を卒業し、看護師になってもうすぐ4ヶ月です。

 

休みの度に同期や彼女らの地元の友人と車で大型ショッピングセンターに行ったり海でBBQをしたり、マイルドヤンキーの生き様を日々勉強しております。

 

 

「学生の頃は良かった」

 

学生時代、働いていたキャバクラやインターンシップ先の企業で社会人から言われる度、なんとなく引っ掛かりを覚えていた言葉。

 

社会人側は、学生であれば時間はたっぷりあるし、失敗しても「学生だから」で誰でも見過ごしてくれるし、何だかんだ親が守ってくれているし云々という主張だったのですが、

学生の時の私はといえば、学費と生活費という名目で肝臓を犠牲に深夜の繁華街にのめり込み、不安定な非正規雇用からはやく正規雇用が欲しくて仕方無く、おまけに学生特有の「何かしたい」「このままじゃいけない」という焦りが人一倍強い、要するモラトリアム真っ盛りだったので

「このおじさんおばさん達よく分かんないこと言ってる暇があるならどうか私をこの不安定から引っ張り上げてください」くらいの気持ちだったと思います。

 

そんな、思春期と青年期の狭間の情緒不安定にどっぷり漬かり込んだ私ですが、先日ふっと浮かんだ「学生の頃は良かった」という感覚。

感じてから、一生理解できない気持ちだと思ってたのにどうして私がそんなことを、と驚きましたし、良くも悪くも社会人になってしまったんだなと実感したので、学生時代に接していた「よく分かんないこと言ってるダサいおばさん」の一員にならないように少しリフレクションしておこうかと。

 

「学生時代は良かった」と思った私のその時の関心は、「明日仕事中に眠くならないためには今日の飲み会から何時に帰れば良いか」でした。

学生の時は、キャバクラへの出勤やら友人との飲み会やら毎日のようにお酒の予定が入っていたわけですが、実習中以外、就寝時間なんてまず考えない。終電で帰れば良い方で、翌日1限から授業がある日なんて遅刻がこわくてむしろ寝ない。そして授業中に寝ていました。我ながらよく1回も追試になることなく試験に通って卒論提出までしていたものだと思うけど、大学生なんてこんなもんだとも思います。

 

翌日の仕事をきちんとこなすために前日から時間を考えるなんて私社会人らしくなってる…!とちょっと感動する一方で、自分が何を考えて学生生活を送っていたかなんてすっぱりと無視して、「昼間に寝られた」という事実だけを思い返して「学生の頃は良かった」と感じてしまうなんて、視野が狭くてみっともないなあとげんなりしたり。

 「事実」だけをみれば、企業で働く社会人が学生より不自由だなんて当たり前じゃない。だって学生は学校にお金を払う立場で、社会人はお金をもらう立場だもの。

 

現状にどうしたって打開できない不満がある時、過去の大抵の記憶は美化されるものです。過去の自分の感情に一旦蓋をして「事実」だけを思い返せば、どんなことでも「大変だけど良い経験だった」 なんて思ってしまうもので、もちろんそう感じることは決して悪いことでは無く、とても自然で真っ当な感覚。

過去を美化して、「生きてればまたあんな良いことがあるかもしれないじゃないか」と思わなきゃやってらんない時もあるし。

 

ただ個人的には、そうやって一人で過去のキレイな記憶に勝手に浸ることと、私自身が学生の時に幾度も「学生の頃は良かった」と言われたように、他人に向かってうっかり口に出してしまうことは全く別物だと感じます。

「学生はいいわよ」と、自分が都合よく美化した記憶を他人に押し付けてしまうことは、なんとなく辛いとか、なんか良く分かんないけどしんどいとか、そういった「感性」を無視して、時間があるとか失敗しても許されるとか、誰にでもわかりやすい「事実」でしか人間をみられないと語ってしまうことと同じです。

 

自分の、現在の感性も過去の感性も一度に引き受けるなんて心に重たすぎるから、「学生の頃は良かった」と、自分の過去の感性を隅っこに寄せて自分を甘やかしてあげることも時には必要で。でも誰かと話す時に、他人の過去の感性まで隅っこに追いやるのはとてもとても失礼な態度だと感じてしまいます。

 

そもそも、身に起きていることとその時の感情なんて案外ちぐはぐなもの。何かで表彰されたのに絶望的な気分になったり、大学を退学になるかもしれないというシチュエーションでわくわくしてしまうのもまた人間らしさのひとつではないでしょうか。

 

「学生の頃は良かった」という言葉は、自分だけのために使っていこう。できれば、気持ちに余裕のある時にはちゃんと、学生の時の不安定さも思い返すよう、過去の感性を食いつぶさないようにしよう。

そんな風に思うのは最近、社会学者の古市憲寿氏の若者論の本を何冊か手に取ったせいのような気がします。