プロセスレコード

水商売をしていました。看護師になりました。

可愛いからって愛されないが、不細工だって幸せだ

 

水商売を卒業して、看護師になって4ヶ月半が経ちました。

 

30代の医師の友人から「夏過ぎたくらいの慣れてきた頃から新人看護師って医者と何かやらかすよね」と言われています。まだ何もやらかしていません。ちょっとお家に行ったくらいです。

 

私の職場、プライベートが大して充実していないと思われがちな独身者に対しては「労基?寝言?」というレベルに激務が降り注いでくるのですが、

ご家庭のある、特に子どものいる看護師に対しては、時短OK、平日日勤のみOK、「子どもが熱出してて〜」という当日欠勤の電話があれば、病棟がどんなに炎上していようと師長が「大丈夫よー!ゆっくり休ませてあげて!」と力強く返事をするとてもとても優しい職場でもあります。

 

ですから結婚されている方はものすごく多いし、over30の看護師はほぼ既婚で子持ち。学生の時は周りに独身の30代なんていくらでもいて、むしろ「結婚なんて時代遅れだ」くらいの勢いで結婚に対する女の子らしい夢や憧れを壊されてきた私にとって、結婚・出産が当たり前にある日常の話を聞くことはいつまで経っても新鮮です。

 

お昼休みは大抵先輩方の子どもの保育園の話や旦那様の話、新婚旅行の話なんかを聞いているのですが、

大変ながらも幸せそうな話の数々に、なんていうか、ほっこりしつつも女として考えさせられるものがあったり。

 

テレビや雑誌、インターネットなんかに「ダイエット」「女子力」という言葉が氾濫し、可愛くて綺麗であることが幸せになるためのチケットのようにすら思えるこのご時世において、

性格が悪く思われるのを承知で言ってしまえば、

私の職場の先輩方、どう見たって女を捨てているような、体型が崩れ、姿勢も悪く、ちらほらとみえる白髪を隠そうともしない、お世辞にも美しいとは言えないお姉さま方がたくさんいるのです。「もうすぐ40歳だけど独身です」と言われれば、失礼ながらも「まあそうだろうな」と思ってしまう。

 

人は見た目ではない、とはいうけれど、可愛い人ほど得をするというのもまた定説であって。

多くの女性が、「化粧は自己満足」なんて言いつつ、幸せになるために服やら化粧やらに時間とお金を投資しているように見えます。幸せになるために美しくなりたくて摂食障害になってしまう女だってたくさんいるじゃない。

 

もちろん、結婚や出産が手放しで幸せなことだとは思わないし、正直私は結婚願望すら大して持っていないのですが、目の前に、女として美しぶることを放棄しながら、あるいは放棄しているように見せながらも女としての幸せを掴んでいる人をみると、一足飛びをされている感覚が拭えない。

 

彼女達をぼんやりと眺めていると、可愛らしさや美しさで手に入る「幸せ」と、結婚や出産にまつわる「幸せ」は、ある種対極にある存在として考えることが健全なのかな、なんて思ったり。

 

(私自身は、パーツ的な意味での顔立ちは正直かなりタヌキっぽいながらも一応東京都中央区の繁華街のそういったお店に置いていただける、ごくごく客観的にみて「可」ぐらいの容姿レベルですが)

モデルのような美しさを持たずとも、ある程度身だしなみに気を遣って、他人と会う時には化粧をして、きちんと背筋を伸ばして歩いている女性であれば、他人からそれなりの頻度で「かわいい」と言われ、お願いを聞いてもらい、「可愛ぶっている得」を手に入れる瞬間があるでしょう。だからこそ、「もっと美しく」「もっと可愛らしく」と依存的になってしまう女性が少なからずいるように思います。

 

そして、先輩方の話を聞いていると、その可愛いこと、美しいことで得られる快楽は、一瞬でその場で消費できるジャンクフードくらいに軽視してしまった方が良いのだろうと感じるのです。

 

恋愛、結婚や出産といった、人生のターニングポイントになり得る、リスキーですらある幸せが目の前にある時に「私は可愛いから」「私は可愛くなるための努力をしたから」といった自意識は、ふとした瞬間に「可愛くなる努力をし続けなければ幸せは逃げていく」「綺麗じゃなければ人に愛されない」という不安に裏返りかねない。

「女はいつまでも美しく」なんてもう、強迫性神経障害みたいなものじゃないですか。

  

無論、好きな人に少しでも可愛く思われたくてお洒落する女性はとても微笑ましくて素敵な存在ですが、可愛くしたから恋が実った、なんて当人が勘違いしてしまった時、彼女はとても脆くなってしまうでしょう。

 

表面的な魅力に、瞬間的に他人から支払われる快感と、長期的に、人間性に対して積み重ねられていく温かみを切り離して考えることは難しくとも、それができないうちはきっと幸せになんてなれない。

 

見た目が魅力的であるために時間とお金がかかったとしても、それで得られるメリットを過信しないことが、心身を健全に生き抜くことに繋がるのだろうなと感じます。

 

そして、そう感じたからといってすぐに行動が変わるわけでも、じゃあどうしたら幸せになれるのかが分かるわけでもなく、私は今日も不特定多数から魅力的にみられるようDiorのチークをはたき、ダイアナの9cmヒールを履いて全身脱毛に通います。