プロセスレコード

水商売をしていました。看護師になりました。

私にとっての正解は誰かにとっての間違いだよ

水商売を卒業して、看護師になって11ヶ月が経ちます。

 

夕食後の薬を患者様のところに持っていったら「実はこの薬、昼間の分は飲むふりして捨てちゃったの」と言われました。なぜ昼の看護師に薬を飲みたくないと言わなかったのかと伺ったところ、「昼の看護師さん真面目そうだったから」と言われました。嬉しいような嬉しくないような。

 

先日友人から「正しいけど何か引っかかる」と、沖縄の高山義浩先生が書いたFaceookの記事が送られてきました。

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内容としては、無菌室患者で移植直前のYさんが刃物を携えて煙草を吸いに行こうとした、当時研修医だった高山先生と同期でYさんの主治医であるM先生、それから看護師が取り押さえて拘束して無菌室に搬送したが、その後のカンファレンスでは看護師はマニュアルの話ししかしない、患者がなぜその行動に至ったのか誰も考察しないことにM先生がキレた、看護師長の「病院外で何をしようと自由だが入院した以上は生存することに集中していただく」という言葉で何も言えなくなった、というエピソード。

医療が患者自身に理解できないほどに複雑化していて、医師の説明の限界が医師ー患者関係を不安定にしていること、

一般的には拉致監禁といわれるような拘束行為が病院では日常的に行われており、病院のモラルがひとり歩きするほどに医療は社会と遠い存在となっていることを指摘されています。

 

この記事を読んで、前面には高山先生や同期研修医のM先生の正しさが出ているものの、実際のところおそらく誰も悪者では無く、医師と看護師と患者様、それぞれの想いや立場が食い違っていただけの、だからこそ関わった全ての人にやるせなさの残る出来事だったのだろうな、と感じました。

 

私は現在、血液内科の無菌室チームで看護師をしています。

無菌室ってとても特殊な空間だと思いますし、だからこそこちらの投稿には思うことが多くあるのですが、ひとりで頭を整理できるほど賢い1年目ではないので、医師の立場は上の投稿に任せるとして、看護師として思うことを並べてみたく。

 

記事の中には2人の看護師と師長が出てきて、危険な状況への対応や危険物持ち込みに関する「マニュアル」の話をし出し、そこに患者様の心情は不在です。

 

白血病で移植治療を行う患者様は移植前に、血液を作る場所にある悪い細胞を殺すためにとてもに強い抗癌剤を投与するため、副作用で免疫が弱くなり、普通じゃまず感染しないような菌やウイルスに感染する状況となります。そのような患者様のお身体を守るためにある場所が無菌室ですが、

無菌室を出る時、多くの患者様は「ここは地獄だった」と言います。

ベッドとトイレとテレビしかないような部屋から「出てはいけません」と言われ、感染しないようにと食事は著しく制限される。抗癌剤の副作用で身体は常に怠くて吐き気がして、移植後数日すれば口の中や肛門の耐えがたい痛みに24時間、血液が作られるようになるまで延々と苦しまされる。

 

移植治療がそんなキツい治療であることを、きっとM先生は患者様に事前に説明したでしょう。そして他に助かる方法が無いなら、とYさんは治療を選んだのでしょう。

それでも、人の心は状況次第で如何様にも変化します。どんな覚悟をして治療に臨んでも、同じ空間に閉じ込められ続け、いまいちよく理解できない点滴を打たれ続け、食べたいものは食べられない、尿の量まで測らなくてはいけない生活の中で、「病気を治したい」という気持ちが「今この一瞬を楽になりたい」という気持ちに変わってしまうことは、人としてとても自然な感情であるように思うのです。

 

そしてYさんからは「お前らぜんぜん分かっとらん!」という発言がされるくらいですから、何かしらのサインを医師や看護師に出していたのではないか、そしてそのサインは何度も無視され続けたのではないかと推察しています。となれば、本来であれば日常の中にいる看護師が普段のコミュニケーションの中から、Yさんの変化を汲み取らなくてはいけないはずではあるのです。

 

一方でこの時、看護師はどのような状況だったのだろうか、と思います。

血液内科って、看護師の中でも特に忙しいからと嫌がられがちな病棟です。点滴交換中に患者様が何か言いたげにしているのは分かっているけどこれから1時間以内にあと15本の点滴をつないで回らなきゃいけないんだ、皮膚ボロボロの方がそろそろお風呂から出るから全身に薬塗らなきゃ、突然輸血5本追加なんて嘘でしょう、患者様が突然わけわかんないこと言い始めてるんだけどもしかして脳出血か脳炎かしらはやく先生に報告しなきゃ、そんな状況の中では物を言える患者様はとりあえず後、という優先順位になってしまうのは私達にとっても心苦しいながら、そうせざるを得ないジレンマ。

 

記事の中で、刃物を持ったYさんが煙草を吸いに行こうとしたのは夜8時。夜の検温の真っ最中で、昼間は元気だった方が突然発熱して、当直の先生に電話している最中にナースコールで別の方に呼ばれたと思ったら「胸が痛い」と言われて心電図を取りにダッシュして、またナースコールが鳴ったと思ったらさらに別の患者様の免疫抑制剤の点滴の機械のアラームが鳴っていて、その上抗生剤を点滴しなきゃいけない患者様が夜8時に7人もいる状況に「私はひとりしかいないんだけどな」なんてどこかイラっとしながら走っている真っ最中だと考えられます。夜勤の8時はマジで地獄ですわかります。

 

カンファレンスをしていられる状況だったと言えるのでしょうか。患者様が刃物を持ち出したからといって他の患者様が落ち着いていてくれるわけではないし、こうして話している間にも重症個室の患者様の血圧は70を切っているかもしれないし、無菌室の他の患者様の疼痛緩和のためのモルヒネは今にも切れそうだし、体位交換の時間だし。

 

患者様の行為の「なぜ」の部分を考えなきゃいけないなんて看護師だって分かってる、でも私達は病棟の患者様全員の今この一瞬をお守りしなきゃいけない。のんびり物を考えている時間も、普通の人の3倍速で思考する賢さも看護師にはありません。

 

ひとりの患者様に寄り添いたいと時間をかける看護師は確かに患者様から感謝されますが、その裏では終わっていない仕事を他の看護師が鬼のような形相で駆け回りながらこなしているか、本人が多大なる残業をして片付けて、疲れの残った翌日に人の命に関わるアクシデントを起こしていることもまた現実ですから、感覚を鈍化させていなければ本当に潰れてしまう。「忙しいなんて言い訳だ」と記事のコメントには書かれていましたが、人間が1日にできることのキャパシティを無視する残酷さを自覚するべきだと思います。

 

高山先生の記事の投稿での、看護師がマニュアル整備云々のことしか言わないという内容に「わかるわかるー」となった理由はもうひとつ。

 

多くの場合、患者様ひとりに対して主治医は1人もしくは2人ですが、看護師は何人ものチームで関わります。交代勤務の特性上、毎日出勤して毎日同じ患者様を看るわけでは無く、人が足りなければ他のチームの看護師が受け持つ場合もあります。だから看護師同士の情報共有は超重要になりますし、例えば内服薬の変更や糖尿病の患者様のインスリンの量なんかは同じ様式で、誰が見ても間違わないように確実に統一された書式を。クレーマー気質の患者様への対応も、「毅然とした態度を」ということで上が決めます。末端の看護師の思考の入る余地はありません。

 

また、例えば多くの病院では、抗がん剤を入れるための点滴のルートは看護師ではなく医師が行うという決まりがあるのですが、先日あまりにも先生が忙しそうだから「もう私取っちゃいますよ?」と試しに言ったところ許可してくださり、ルートを入れた後に先生にチェックしていただいてOKが出たので、そのまま抗がん剤を開始したら

先生とふたりで看護師長にものすごく怒られました。

いや確認してるし、と言った先生に対し、師長が「万が一何か事故があった時、看護師が業務外のことをしていたとなると責任問題が云々…私だってこういうのくだらないと思ってるんだけど」とお話ししていて、そうか大きな病院では患者様の利益と病院の責任問題を天秤にかけなくちゃいけないんだよね、しかもそれって病棟で走り回ってるだけの人間が考えるべきことじゃないんだよね、と思うと、自分が何かを考えることが馬鹿馬鹿しくなってしまいます。

そんな環境に長くいる看護師ほど、頭で考えるよりも先に「マニュアルが」となってしまうのも分からなくはないのです。  患者様の利益を目的に作られたルールなはずなのに、いつの間にかルール自体が目的化してしまうなんてなんて皮肉なことでしょう。

 

どうしたら良いのかしら。問題が壮大すぎる上に解決策を思い浮かべられるほど賢くなくて悔しい。

ただ、あの記事では、患者様にとっての正解と医師にとっての正解、そして看護師にとっての正解がどこか少しずつずれているような気がするのです。そして自分の正解だけが真の正解だと思っている人間同士じゃコミュニケーションなんてかみ合わなくて、自分だけの正解を信じた先あるのは永遠に満たされない空虚感なんじゃないかなって、なんだか悲しくなってしまいました。