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プロセスレコード

水商売をしていました。看護師になりました。

キャバクラで働いている大学生で、大学に行っているキャバクラ嬢だった

水商売を卒業して、看護師になって10ヶ月になります。

 

実家に帰省しました。妹から深夜に、「お姉ちゃんが大学生になるくらいまではいつもお母さんと喧嘩してるし帰ってこないし軽蔑してたけど、ここまで好き勝手できるって逆にすごいなって思って尊敬するようになった」という全く喜べないカミングアウトをされたところです。

 

昨年の9月末に、九州の某大学の看護学部の実習前の授業のお手伝いをしました。

詳細は看護Roo!様への寄稿記事に書かせていただいたのだけれど、完全に自己顕示欲のキラキラ女子風味に毒されていて痛々しいのであまり人に読まれたくない。

www.kango-roo.com

 

というわけで授業に参加させていただいて、現役の看護学生を間近で見た時の違和感について再考を。

 

₍上の記事にも書いているのですが₎私自身は決して真面目な看護学生ではなかったし大学生ってそんなものだと思っていたから、学生さんがさくっと流し読みして「ふーん」と思ってくれるような授業資料を作ろうと努力したものの、現実はどの学生さんも超真面目に授業を受けていて驚いたのですが、同時になんだか「ああ、嫌だなこの感じ」と目を背けたくなったのが正直な感覚だったりします。

 

学生の頃、入学して早々から大学を馴染めない空間だと感じていました。

 

今思えば、一緒にお昼ご飯を食べる友達がいて、ほとんどの同級生と口を利けて、実習の時間変更の連絡はグループの誰かが必ずくれて、赤点になったこともなくて何が馴染めないだ、という環境ではあったのですが、理屈ではない居心地の悪さというか、周りの子達とのテンポや視点の違いは、「劣等感」という感情で常に私につきまとっていました。

 

みんながすぐに解ける計算が自分はいつまでもできない、自分が1時間で仕上げたレポートに友人達は3時間かかっていたから私は思考力が浅いんじゃないのか、グループワークで何を話せば良いか分からない、そんな、小さなことの積み重ねで、よくよく考えれば何が上で何が下というものですらないのに、常に私は「私が悪い」と自分の首を絞めていました。

 

大学入学前から自己肯定感が低いことはなんとなく自覚していたのですが、どんな風にやり過ごせば良いのか分からず、いつも気を抜けば泣きそうな自分を完全に持て余していた、ような気がします。

 

ところが、学費の事情で水商売を始めてから、大学の同級生に対する意味のない劣等感が着実に薄れていきました。

 

もちろん、18時までかかる授業をこっそり抜けてお客様と待ち合わせして同伴して深夜までお酒を飲み続け、翌日1限から授業を受ける日常は恐ろしくキツいもので、大学に行くためにしている仕事のはずなのに大学でずっと寝ていることは正しい状況ではなかったのでしょうが、周りの子達とは全く違う生活をしていても彼等彼女等と日常会話を問題なく交わせることはそれだけで大きな安心感でしたし、夜の仕事のせいで単位を落としたと思われるのが嫌で一度も追試にならなかったことは、大学生活を全うできているという自信となっていました。

 

さらに、仕事をする気がどうしても起きない時期がきたり、試験前でバタバタしていたりすると在籍していたお店での自分の売上がガタ落ちしてしまうタイプだったのですが、「そのかわり試験通れたんだから」と大学生を続けていられることは、競争の激しい業界の中で病むことなく、水商売を続けることに怯えなかった要因であったように思います。

 

要は、大学でうまくいっていなかったことに「水商売」というフィルターをかけながら、水商売で上手くいかない時には「大学生」という役割を意識して、ひとつの場所で輝き続けることのできない自分に常に言い訳をしながらどうにか生き延びてきたのです。

 

社会人になって、授業のお手伝いのために真面目な大学生を見た時に気持ちが揺らいだのは、彼等彼女等が私のような感性を全く持っていないのか、或いはやるせない感情や劣等感を受け流すこともせずに正面から苦しんでいるのかのどちらかではないかと感じたからでした。

 

どんなに苦しくてもひとつのことに取り組み続ける真面目さを是とすることは綺麗だとは思う。ただそれが実際にできる人がどれだけいるのでしょう。誰だってなんだかんだと都合良い言い訳をしていかなければあっという間にプレッシャーに潰されてしまうように思いますし、潰されなかったことで「我慢強さは素晴らしい」なんていうマッチョなプライドが生まれるよりは、ちょっとした後ろめたさを知っている人の方が穏やかなのではないかと感じます。特に病院では誰のせいでもなくとも人が死ぬし、看護師なんて「私の観察が足りなかったからじゃないか」なんて考え始めたらキリがないわけですし。

 

私の場合は完全に結果オーライだったのですが、誰もが感性をなだめて手懐けなければいけないこの資本主義社会の中で居場所を複数作ることは、感情をコントロールする上で簡単で手っ取り早い方法であるように思います。別に極端なダブルワークをせずとも趣味だって何だって良くて、少なくともひとつの何かに依存的であることは危うさしか無い。

 

可愛い看護学生たちを見ながらそんなことを考えていた自分の性格の悪さに愕然としないわけではないけれども、看護職=対人援助職を目指す人間は他人に依存的な、精神的にあまり強い方ではないという研究だってあるわけだから、「辛い自分がどうやって日常をやり過ごしていくか」という部分をおろそかにしないでほしいな、とどこかで思ってしまう次第です。

 

森秀美・長田久雄(2007).看護師-患者関係における共依存傾向とその影響についての検討.健康心理学研究,20(2),61-68.